久留米市民会館

市民会館は、昭和44年(1969年)に市制施行80周年を記念して建設されました。市民はもちろん、久留米広域圏住民にも気軽に利用されています。音楽・演劇などのほかいろいろな集会や各種イベントに利用できる施設です。 地元の建築家菊竹清訓氏によって設計されました。主な施設は、大ホール1,500名、小ホール240名。(市HPより抜粋)
客席平面図(市HPより)
基本的にこの会館は「菱形」をベースにしているらしく(隣の役所から俯瞰してみるとよく分かるが)どこもかしこも菱形なのね。であるからして客席も見事に菱形チックなへんてこりんである。まぁ建設当時(S44)としてはなかなか画期的な客席配置だったと思うが、それがなんだっちゅうのよ?右下の付け足しのような部分は2階席(3階席かも)で全く用を足していない。ここに座ると客席との一体感ならぬ疎外感が楽しめるからこれまた凄いと云わざるを得ない。
でもってステージと正面入り口間の三角形の客席だが、ステージセンターが三角形の頂点にないので(と云うか三角形自体変形している)センターに立つと客席の異様さに気づくだろう。そしてここだけの空間を作るために巨大な仕切板が天井から電動で回転しながら降りてくるようになっていて、約300人程のホールに変身したりもする。なんのためでちゅか?(今ではこの回転板の定期点検経費が無駄金として毎年計上されているらしいが、ホールの人間も最後に使ったのはいつの事か記憶にないとの事です)と云いつつWPライブ時(1990年あたり)使った事がある。あれが最後だったのかも・・・。
搬入開始
 搬入口は道路から15mくらい入ったところにわりといい感じで作られているが、菱形を基本にしているため幹線道路に対して約30度くらい傾いている。おまけに間口が2mちょいしかない。トラックをバックで並行突入しつつ10m付近でハンドルを左に切りつつ並行になったところでまっすぐ戻して・・・(あぁ〜しぇからしかぁ!※訳:あぁ〜めんどくさい)完璧並行につけるにはかなりの運転技術が必要だ。音響屋一年生ではまず無理と考えていたほうが無難だ。ただし何度か切り返しを行えばそれとなく搬入出来るところへは停車出来るはずだ。しかし完全並行駐車に拘るA型の方には搬入時からストレスの溜まる会館であると思う(なんて書きつつ私もその一人ではあるが)。扉が二枚あり以前は二枚目の枠が床面にあり段差があったが、現在は無くしてある。キャスター物の多い我々の機材、これはいい事だ。出来れば一枚目の扉も段差無くして欲しいな。間口の拡大もたのむ!
仕込み
という感じで無事搬入出来たわけだが、その後は難なく機材は所定の位置に配置出来る事と思う。しかしだ!ステージから客席を見てびっくりするだろう。肝心要のセンターがとれない・・・。どっちを見てもシンメトリ(左右対称)ではないのである。上の平面図でも分かるように出入り口も少し下手寄りなのだ。つまりオーディオの世界で云うリスニングポイントの理想形である「正三角形の頂点」で聴くことが出来るのはほんの一握りのお客さんだけということになる。

さぁそれでは気を取り直してスピーカーをスタックしようではないか。
「ん?」
そう何かに気づくはずだ。       
ステージすらシンメトリではないのだ。上手下手の角度とカラム壁の位置も違えば長さも違う。ましてや客席を基本にスタックするととんでもないことになってしまうだろう。もう頭の中ゴチャゴチャ状態。
しかし、セッティングを中断するわけにもいかず、混乱したままスタッキングを完了する頃には押さえきれない怒りにも似た「責任者でてこ〜い」となるはずである。

そいでもって卓位置が主催者により指定される時は問題ないが、自分で決めていいよ!なんて時にゃ、これまたどこに置いたらいいのかわからなくなり、この頃にはすでに大パニック状態で「宇宙戦士ガンダム」へと変貌を遂げていることだろう。
音を出す
低音(特にバスドラやベース)を出すと、天井から何やら落ちてきそうな、鉄板が外れそうなの?という感じの「ガラガラ・ジャラジャラ」という音が聞こえてくるが、気にせずにサウンドチェックを行おう。気にする事じゃありません。
まとめ
お世辞にも使いやすいとは云いがたいが、電源系は問題なく「C型30A」が上下共に4〜5回路、卓位置付近にも1回路と充実しているし、卓位置にはマルチも完備している。ありがたや・・・。ただただ設計者はお客さんや利用者の事など全く考えてなかったのだろう「奇を衒った」外観重視の作り方をしたことは誰の目にも明らかなことだ。
このような建造物を「市民会館」と呼び使わざるを得ない久留米市民は「不幸な民」と云われても仕方ないだろう。間違いない。
しかしながらこのような会館を30数年の長きにわたり維持し続けた「西日本企画」のスタッフの方々のストレスたるや簡単に察する事が出来るというものだ。

N企画のG氏からお聞きしたところによると、昭和43年会館オープン前に見たホールの図面の一枚に上の写真と同じパース図があったとのことで、当初からこのお馬鹿な市庁舎構想は存在していたようで、役所としては是が非でも「セットで建てなければならない」という使命感に燃えていたと察する。
にしても ほんとうに140億〜160億円という巨費を投じて建てなければならなかったのか?どこかで誰かが止めることは出来なかったのか?このようなハコモノが日本全体の借金地獄の一役を担っていることは間違いない。