ボンタ&ブラザース
 2004年8月26日
もう今から20数年前、日田に「ボンタ&ブラザース」というレストランと云うか西洋居酒屋と云うかへんてこな店が、寿通り商店街の裏通りの2階建てのテナントビルにあった。JR日田駅に近いメインストリート寿通り商店街裏手筋で、近くには「相夫恋本店」があったりカツ丼で有名な「東華」があったりする。
クッキングパパで有名になった「うえやまとち」さんの初期(1982年〜)の作品 『大字・字・ばさら駐在所』にも登場するくらい有名な店だった。

この店のマスターがあだ名で「ボンタ」と云い、昔は悪さん坊だったろう面影を残しつつ、食事も酒もワイルドに客に提供していた。何がワイルドかって、どのメニューをとっても彼なりのアレンジが入り、時には「どこが?」ってくらい意味不明なものが出てきたりするのです。それでも彼は「こいでよかと!」と、何の躊躇いもなく言い放つ。とにかく裏も表も無い開けっぴろげな人で、若いもんから兄貴アニキと慕われていたし、唄い手からの信頼も厚かったのでありました。

私がMUSIC-CITYにお世話になり始めたのが1982年頃で、たぶんそのころ開店したと思う。中津江村MFの流れでいろんな唄い手が出入りするようになり、音響屋としてお手伝いし始めてからつきあいが始まる。とにかく薄れゆく記憶を元に書いているので少々の間違いは仕方ない。

もちろんよく飲みにも行ったのだけど、記憶の中を締めるのはライブの部分かな。ここで演った唄い手を思い出すだけ書いてみると・・・「西岡恭蔵」「Kyozo&Bun」「憂歌団」「有勘」「大塚まさじ」「加川良」「クリスタルキング」「葛城ユキ」「カーネーション」「音つばめ」「平田達彦」etc...、ブルース系やジャズ系など記憶に残ってないものも沢山あるだろうから、そりゃまぁホントいろんな方々がお見えになったんです。(今、昔のスケジュール帳確認したら1991年8月にボンタ10周年ってあるので、1981年開店ということになる。中津江MFが始まった翌年ってことだな)

ライブの後の打ち上げで出てくる恒例の「ボンタ鍋」も懐かしい。
毎回有りものだけで作られるその鍋は、時にはすごくアンバランスなものが入っていたりして、その時はそれで文句云うのだが今となってはとにかく「うまかった」記憶だけが残る。
とにかく20代前半から10数年お世話になった俺は、ボンタさんからは多大なる影響を受けたわけだ。
そして何よりこの店で日田の人達と沢山出会ったし、多くを語り合ったのもこの店だった。その後(何年だったか忘れたけど)日田ICの近くに移転して営業してたのだけど、俺がCITY辞めて久留米に戻ってきた後、風の便りに「店閉めて牧場始めたらしいよ」なんて聞いたものだから、ほんとはこれががやりたかったんだなって思っていました。

そんなボンタさんが逝ってしまった。
喉頭ガンだったそうだ。
一年前から自覚症状はあったらしいが、弱虫の彼は病院に行かなかったらしい。もう少し早く発見出来ていれば命までは無くさなくてよかったらしい。そう思うとなおさら悔しくて仕方ない。
棺桶の中で眠る彼の顔はとても俺の記憶にあるものとは違ってとても痩せこけていて80歳のおじいさんの顔みたいだった。

冥福を祈る・・・