搬入(セッティングの前作業)
音響屋に限らず、我々裏方の仕事(照明・楽器・セット・仮設全般)に共通していることの一つに「目的の会場に必要な機材なり道具を入れ込む」という作業がある。現場に到着したら一番最初の作業になるわけですが、まぁある程度の「会館」であれば、それなりの「搬入口」が作られていて、(例外もたまにはあるが)まぁそんなに困る事はないが、搬入以降の事を考えると使いやすいに越した事はない。

しかし、イベントによっては会場がマチマチで、元来そういう目的で作られていない所が会場になったりする事も多々あります。まぁ想定出来ているのに予算の関係上なのか(もしくは設計者の見てくれ優先のためか)あるべきところに無いのが搬入口っちゅう事もかなりの確率で存在する。これは「公」より「私」な建造物に良く見受けられる傾向にある、と思う。

と、ちょっと固苦しくなってきたが、ここで搬入口について云々書くつもりはなく、これまでの経験から「こりゃだめだ!」とそれを見ただけで戦闘意欲を無くすほどの搬入体験を書いてみようと思います。
1990年頃 沖縄
その頃は毎年7月中旬ころ沖縄へ出稼ぎに行っていた。沖縄は7月にイベントのピークがあるらしく、この時期県内の機材をかき集めてもとても対応出来ない。ちゅうことで暇なMusic-Cityから助っ人に行っていたわけです。この年は現FHSのtomi君との二人旅でした。

沖縄の夏体験者ならわかると思うが、沖縄の太陽光線は一種独特のものがある。太陽光が当たっている皮膚が「ジリジリ」と音を立てて焼けているのがわかるほど強い。

4トン車をフェリーから降ろした俺らは、その暑さも何のその「観光気分」で楽しみながら、最初の現場である「本部町」へ向かったのです。その後地獄が待ち受けているなんて知る由もありません。
で、現場内容は「アクアポリスでRINKENバンドのライブ」とだけ聞かされていて、アクアポリスっちゃ沖縄海洋博('75年)の時に出来た未来海上都市やったよね・・・なんて話しながら、車窓から見える「美しき海」に感動しつつ、車を走らせたのであります。

沖縄海洋博(1975年7月)
沖縄国際海洋博覧会は、沖縄県本部町で183日間の会期(1975年7月20日 〜 1976年1月18日)をもって行われた国際博覧会。「海‐その望ましい未来」をテーマとし、日本を含む36カ国と三つの国際機関が参加した。総入場者数は、約349万人。
未来型海洋都市のモデルとして人工島「アクアポリス」が130億円をかけて国の出品展示物として建設されたが、その後沖縄県に2億円で売却されるも使用される事もなく、2000年10月鉄屑として中国へ売却(1500万円)処分された。幅100m×94m高さ26m
着いてびっくり!ご覧の通りです。ここまでしかトラックは入れず、この橋を使い手押しで機材を運ぶわけですが、なんとこの橋全長100m以上!
当時は今よりかなり元気良かったにも関わらず、見ただけでいやになりました。正直、出来るものなら逃げ出したい気持ちです。なんせ二人だけでの作業ですから。
で、この橋を渡ったところが建物の地下二階部分(屋上を1階と想定)になります。全ての機材をここまで運ぶのに約1時間かかりました。入り口を入ったところに幅60cm長さ30mくらいの一人乗り用的エスカレーターがありました。まずはこれに乗っけて一階上まで上げます。幸いにしてどの機材も55cm以内で納めていたのでこれに乗せる事が出来ました。まずは一安心というところです。
しかぁ〜し!
エスカレーターで上の階に上げたのは良かったっすが、屋上に上がる文明の利器が無いじゃあ〜りませんか!エスカレーターは何処だ?エレベーターがどっかにあるんじゃないか?と広いフロアを探し回りますがどこにもそんなものはありませんでした。

エスカレータで上がった時その存在には気づいていたものの、しかし本能的に「そんなはずは無いよね?神様」と無視してきたのですが、どうやらそれを現実のものとして認めなければならない時が来たようでした。それはただただ無言で我々の前に立ちはだかる「大幅の階段」
「ほらほらここから上げるのよ」と微笑んでいるようでもありました。

この時既に搬入開始から2時間は過ぎていたと思います。

それからどれだけの時間で搬入出来たのか、仕込みはどうしたのか記憶にありませんが、音が出た時の気持ちよさと、海の蒼さはハッキリ覚えています。

ライブと云いながらお客さんがほとんどいなかった。

搬出の時の事なども全く記憶にありません。たぶん生きる屍と化していたんだろうと思います。
搬入機材リスト(大まかですが)
1)CMD×8(TAD1601b×2本入り、約80kg)
2)CMH×4(2445J×2本/2402×2個、約50kg)
3)P2360ラック(P2360×2台、P2180×1台、約70kg)
4)Pro5ラック×2(Pro5×2、約60kg)
5)PM3000-32×1(130kg)
6)マイクスタンドケース
7)ケーブルケース
8)周辺機器類
&その他もろもろ・・・。
しかし、人生とはそう悪い事ばかりが続くもんじゃない。悪夢の後にはバラ色の、いやハイビスカス色の人生が待っているものなのです。
予定のスケジュールを消化し、明日は帰路に就くという日の夜「今回は大変申し訳ない事をしたのでもう一泊して沖縄を楽しんで帰って下さい」と社長から云われ、即答で「それじゃお言葉に甘えまして・・・」と、次の日満座ビーチには、ORION生ビールをグビグビとやってる久留米弁と博多弁の二人がいたのであります。
そして、トラックだけをフェリーに乗せ、俺ら二人は飛行機で帰ってきた事も付け加えておきます。

搬入に3時間もかけたら、人は人でなくなるといういい例でした。