潘陽軒本店

豚骨と鶏骨スープの絶妙なバランス

2004年2月14日

1店舗しかないのになぜか「本店」の文字が・・・。

最近(04.2〜)ハマりにはまっている店のひとつ。この店は久留米においても老舗の中の一つなんだけど、スープの作り方が他の店と一線を画す。
創始者の「前田泉』さんは、満州の中華料理店で働いていたようで、その時本場中華料理を学ぶことになる。大東亜戦争の負け戦で満州を追われるように引き揚げてきた前田さんが、食べ物屋を始めるのは自然の流れだったろうと察する。
1948年(S23)六ツ門付近で「屋台・潘陽軒」が始まる。1953年に現在の店舗に移動し現在に至る。本店と屋号に付いているのは支店を出す計画があったのだろうか?
昭和23年と言えば、飯田耕作氏の清陽軒が始まったばかりの頃の話だから、久留米のラーメン屋台の中では最古参と言うことになる。

前田さんが選んだスープは、満州で学んだ中華との融合だったようで、豚骨のみを使用する「久留米スタイル」とは違い、豚骨+「鶏ガラ」のブレンドという、本流?からはずれるやり方で始めることとなるのだが、現在の多様化したラーメンの世界を見る時、もしかしてこの「潘陽軒」は時代の先駆者だったのかもしれない。
別な見方をすると、久留米人特有の「しぇからしか事はしとうない」ちゅう気質が「豚骨のみ」で始まったと仮定して、中華料理の「料理」としての完成度から見ると、久留米ラーメンなんてまだまだ子供的で未熟さが見えてくるし、所詮豚骨ラーメンなんてそんな食べ物なのかもしれない。

小学校低学年の頃、おやじに連れられよく食べに行ったし、当時、うちには「月イチ家族食事会」ってのがあって、街(六ツ門あたり)のお店で家で食べられないような「中華」や「寿司」「鍋」なんか食べに行くんだけど、私はそういうのが大嫌いで、おふくろから100円もらい、一人で潘陽軒へ行ったものだ。その頃から和を壊す下地が出来上がったようだ。

とにかく私のラーメン人生はこの店から始まっている。現在3代目が切り盛りしているようだが、一時期メチャクチャまずい時代があった。(現に中学出てからこの歳になるまで何回食べたのだろうか?たぶん両手で足りるくらいでは?そのくらいまずかったんだよイヤホント)しかし最近やっと昔の味が戻ってきたように思う。
2005年12月26日更新

先日IZUMIYA酒店の3階ホールにて1956年(昭和31年)当時の泉屋酒店の写真が展示してありました。で、看板の後ろに写っているのが何と潘陽軒なのです。しっかり「中華そば潘陽軒」とあります!
土師さん貴重な写真をありがとうございました。
2005年11月更新
最近頻繁に行くようになってからというもの、顔を覚えられたのか何か知らないが、何人で行って何も云わなくても俺のラーメンだけは「ヤワ麺」で提供されるようになった。たとえば4人で行ったとしよう。するとカウンターではこのような会話が聞こえてくる。「ラーメン4杯!ひとつヤワ麺で〜す」なんとも気持ちの良い事か。「いつものやつね」などと云う必要はないのだ。
それと、こいつは通常冷蔵庫に入れてあるのだが、ヤワ麺な俺を確認するとそいつはおもむろに冷蔵庫からカウンターの私の目の前へと運ばれてくるのであります。小さな円形のタッパーウェアに入ったそれは「あなたが来るのを待っていたの」と、青春時代好きな女子がデートの待ち合わせ場所に少し遅れてやって来る時のような「いいのいいの全然待ってないよ」などと云いつつ、胸がキュンと鳴るような幸せな気分にさせてくれるモノなのです。前説が長すぎるって?
簡単に言うと「青唐辛子のすり潰したヤツ」でして、なんてことはない代物です。
ただ他店にあるような「にんにく+赤唐辛子」という気の利いたものでなく、青唐辛子そのものなんですごくストレート。とにかく入れすぎると食えなくなるほど辛い。初心者はほとんどのヤツが入れすぎる。
まぁこれが私の目の前に絶妙なタイミングで「ス〜ッ」と運ばれてくるのですよ。

いやぁほんとお店の方すみませんです。
いつぞやはゴマの蓋が外れているのも知らず、スープとゴマの量が半々になるという失態も見逃してくれたし・・・。ほんなこつこれからもまたよろしゅうです!