2005.11.29
知り合いが「Susi Bar」を新規開店しますという案内状が届いたのが2週間ほど前。店主は新八寿司の娘が嫁さんというF君だ。で、昨日がグランドオープンだったので、友人S君と祝儀届けかたがた顔を出してきた。18:30到着。入ってすぐに12人掛けのカウンター、右奥に4人掛けと、6人掛けのテーブルが2つ。木目調で統一された店内は落ち着ける雰囲気場所はあけぼの駐車場筋の池町川沿い。以前オシャレなバーがあったところ。客は俺ら以外には5人ほど。オープン日にこの少なさは何だ?と飲んでいたらどやどやと入ってきて、あっという間に超満員。長居するのも大人げないので席を立つ。

まぁしかし祝儀を持って行って「刺身3種と焼酎2杯ビール1杯」2名様で5000円も取りやがるとはどういう神経だ? 二度といかんぞ!と云いたくもなる。
結局、あっくんで飲みなおし、仕上げに「潘陽軒」でおしまい。どこで飲んでもパターンはいつも同じだ・・・なさけない。
2005.11.28
大川のROYAL ARCADIAに医師会パーティの仕事。
西田マミさんがゲストで出演。仕込み〜リハーサル終了で1時間少々時間が空く。筑後川の最終目的地である中州(大中島)にあるホテルなので周りは有明海手前のすごく広い川。有明海の方を見ると昭和62年廃止線となったJR佐賀線(佐賀〜瀬高)の筑後川に架かる「昇開橋」が見える。もうまもなく日没の筑後川。思わずシャッターを切る。

最近ケイタイ電話の機種をP506iCというのに変えたのだけど、付属のデジカメの画素数が200万画素という、昔では信じられないくらい進化している。3年前に買ったSONYのCyberShotと同じ画素数だ。持ち歩くのに不便なので今はケイタイのカメラがメインになってしまった。
これくらい撮れれば何の文句もなかろうと云うもんだ。がしかし上には上があり、400万画素などというふざけたケイタイ電話もあったりする。こうなるとデジカメに電話機能が付いているのか、本末転倒ちゅう気もしないでもない。
しかし今の子供達は恵まれすぎているというか情けないというか・・・!
俺たちの時代は女の子の家に「電話をする」という行為はそれなりに緊張感が伴ったものだ。いくつもの関門を乗り越えやっと彼女と話せたのだ。彼女の「父親」なんかが電話に出ようもんなら、緊張は瞬時にPEAKレベルに達するのだ。「丸山と申しますが、○○さんいらっしゃいますか?」と、一応社会レベルの話し方で切り出すのだ。父親を変に刺激しないように低姿勢でね。言葉使いが悪かったりすると「娘は今いません!」とまったく取り次いでくれなかったりしたものだ。
私も娘にかかってきた電話でそういう会話をしてみたかった。がしかし今は全てケイタイ電話で直通なのだから、そこにおやじの存在は無い。悲しいやら悔しいやら・・・。

そういう理由からして、今の子供達の会話能力は著しく低下していると思う。
現に長女のところに遊びに来ている「M」くんなど、俺に会うや「お疲れで〜す」等と宣うではないか! 何がお疲れなのか? 「おまえ普通お邪魔してますだろ?」と面と向かってそいつに云えない自分にも腹が立つが、敢えて「こんにちは」だとか「こんばんわ」だとかこっちが云ってはじめて「あぁっ こんにちわ」などと返してくるから余計に腹が立つ・・・。
年頃の娘を持つおやじの愚痴になりそうなのでこのへんで終わりだ。
2005.11.22
最近昔のダンパが復活している。
ロックンロールダンスパーティやね。
昔のにいちゃんやねぇちゃん達が踊りまくっているらしい。
チェッカーズがデビューする前の久留米はこの手のイベントが流行っていた。
当時博多ではメンタイロックっちゅうビート系のバンドが流行っていて「モッズ」や「ロッカーズ」などの「男っぽさ」がウケていた時代だが、久留米ではリーゼントに'50ドゥアップという、全く博多には影響されない独自の路線でがんばっていた。もちろん他にもいろんなバンドがいたしそれなりに活動はしていたが、目立っていたのはリーゼント組やったな。
我ながら無計画さに驚く。

昨夜、ELEPHANTS現場が終わり、久留米に戻り雑用も済ませ、さぁ飲むぞ!っとビールから焼酎3杯目に突入したところで、ELEPHANTS手島氏から電話が入る・・・「今、安部さんとボジョレヌーボー飲んでるから出てこない?」って云われてもこっちも飲んでるしなぁ・・・と、断るかと思いきや「よかですよ、参上しましょう」と10分後には田川へ向かう車中の人になる。どうせ飲むならとELEPHANTS事務所EQの南氏にも誘いの電話を入れる。彼もこういうノリは好きなようで即OK! そいでもまだ足りず、途中Mixへ鞍替えした木崎にも電話を入れる。これまた即OK! 
21時40分くらいには川崎町へ。
こういうのを世間では「フットワークが軽い」と云うのだろうか。

即興で作ったらしい「ボジョレヌーボーの唄」で迎えられる。
ピアノ:安部氏 ベース:手島氏 ギター:客人A

手島氏のワイン好きは有名だ(というか酒店を経営されているからな)
まずは6種類のヌーボーの中、手島氏チョイスで最低ランクから飲み始める。これは六角堂で飲んだヤツだ。まだまだ若い!っちゅう感じの酸味の効いたヌーボーだな。2種類目はまぁまぁ深めの味わいがあるヤツだったが曖昧な記憶だ。料理のうまさも手伝ってか、その後飲むわ飲むわで4種類目くらいまで開けたのは記憶にあるものの、味の方は全く記憶無し。正しい酔っぱらいと云えばそうなのだが、それからどうやって帰ったのかもあまり記憶にない。気がついたら朝だった。もちろん頭ガンガン・・・。久しぶりの二日酔いっちゅうかんじ。やっぱワインで酔うと翌朝がひどい。もちろんチャンポンしたせいもあるのだろうが、それよりワインにはいけないものが入っているのかもしれない。

2005.11.21
いやぁよくラーメン食うヤツだった。
「だった」と過去形なのはもう久留米にいない人だから。
彼の名前は「K.T」PAマンなのだがちょいと変わっていて、豪華客船の専属で半年以上船の生活を続けたりしている。S.筑後小屋付きの「Y.I.」の友人で、11月初旬からこっちへ出稼ぎに来てたのだが、潘陽軒にハマってからというもの、元々ラーメン好きというわけでもない「Y.I.」をかなり悩ませていた。
写真は明日東京へ帰るという前夜、夕方潘陽軒で軽く1杯食い、「もつ鍋さっちゃん」をたらふく食いまくったあげく、24時過ぎに仕上げに食べている大砲ラーメン昇和亭の図なのであります。いったい彼は久留米にいた2週間の間に何杯ラーメンを食ったのだろう?

しかし考えてみると豪華客船には「とんこつラーメン」はないだろうから、彼は船に乗っている間は食べられないという事になるのか?その間どうするんだ?インスタントラーメンでも持ち込んで食べているというのだろうか? 次回から彼の事は「小池さん」と呼ぶ事にする。
2005.11.18
結局、昨日のボジョレ会では差し入れの2杯しか飲まず、あっくんでお疲れさん会もせずにまっすぐに帰って寝たのには大きな理由があるのです。

3時半起床!

なんじゃそりゃ? って今日の現場の入り時間が遠賀高校AM6時で、逆算するとこの時間に起床するしかないのです。で、4時15分事務所出発! 現場から帰っているのか現場に向かっているのか分からないくらい街はまだ暗闇の中。車も少なく予定より早く5時半過ぎに現地着。まだまだ真っ暗で夜明けの気配すら感じません。コンビニでおにぎりを買い腹ごしらえをして、いざ搬入!早朝から先生方2名、生徒6名の手伝いを得て、無事体育館2皆へ搬入出来ました。
搬入して一段落した頃やっとお日様が顔を出し始めました。


バラシで懐中電灯は普通ですが、昼間の現場で電源を取る時に懐中電灯が必要というのも初で、なんだか妙な気分になります。バラシよるんかい?仕込みよるんかい?というとこ。

で、古い体育館なので配電盤もかなり使い込んでいるようで、二次側のニュートラルのネジがユルユルだったので、ニュートラルのみ一時側から取りました。これってどうなんでしょうかねぇ。


長い事この世界にいますが、6時入りってのは何度あったか・・・。6時出発はあっても4時15分出発で6時入りってのはあまり記憶にないです。まぁElephantsのみなさんも9時25分から演奏始める経験もあまりないとは思いますが。朝イチにしてはまぁまぁ声出ていました。たぶん俺らと同じで昨晩は早めのご就寝だったのではないかな。それとも年寄りの早起きっちゅうやつでしょうか?
まぁそれでも12時過ぎには昼飯も頂き現場を後に出来るというのも気分爽快ではありました。

2005.11.17
ボージョレ・ヌーボー。
フランス・ブルゴーニュ地方で出来たワインの新酒の解禁日。これをありがたがって飲むという催しが世界各地で行われている。世界各地とは云え先進諸国一握りに限ったことだろうが・・・。
ここ久留米でも様々な形でこれを飲む会が開かれていると思うが、街の真ん中「六角堂広場」で昨年から大々的に人を集めて「飲む会」が開かれている。
今年の出来は良いらしいと数日前からテレビでやっていたが、実際飲んだ感想はと云いますと。と云いつつ最近ワインって全く飲んでない。考えてみると昨年の下の事件以来飲んでいないではないか・・・。コメントは控えておこう。

で、どんな事件かと云うと、、、昨年文化街のとある店での出来事。「ボジョレヌーボーが入ったんですけど飲まれますか?」とママ。「出しちゃらんね」と連れ。 飲んでみると何やら変な味。その前においしいヤツを飲んでいたものだから、「こりゃおかしい」ということになり結局「お代は頂きません」となる。ちなみにいくらなの?と聞いてびっくり!5000円だという。あんたこんなもんに5000円出すヤツおらんやろ?ちゅうくらいのハズレ物でした。こういう事もあるっちゅう話ですね。

今年は直前まで雨がパラついていて、エアドームを出すか出さぬかとやってたけど、結局エアドーム出動! 結果的には雨は上がりよか天気のもと、ハッチャリーズのブルーグラスに耳を傾けつつ?みなさんワインを楽しんでありました。

しかしみんな酔っぱらってしまうと音楽なんて「BGM」なんですね、騒がしかったのなんの。こうなるとどんな有名人持ってきても同じ状態になるじゃろうなぁ。
今朝テレビで昨年千葉でおきた「女子高生拉致暴行殺人」に対する犯罪人への判決が出たとやっていた。車に連れ込み殴る蹴るの暴行を働きながら、30km離れた病院跡に連れ込みそこでも暴行を重ね、挙げ句の果てに紐で首を絞め殺してしまうと云う事件だった。主犯の2人(21歳と22歳)には「無期懲役」、少年ABには懲役14年と13年。
何なんでしょうかねぇ・・・。この手の事件を見ると何かしら得体の知れぬものが腹の底で「グオゥ」っとうごめいているのです。どうする事も出来ない事への怒りと云いますか、こういう悪魔のようなやつらに人権を与えてはならならんでしょ? もちろん全員即
死刑でしょ!更正させて社会復帰させるという考え方が果たして正しい事なのか? 殺された女子高生本人の恐怖や苦痛は当たり前として、その子の親・祖父祖母・友人達・恋人・知り合い全ての人がず〜っとひきずって行かねばならないであろう最大限の苦しみ。もちろん我々は想像する事しかできないが、死んだほうがマシってくらいのものだろうと考えられる。
人を殺したら ましてや弱者を殺したらいかなる理由があろうとも「死刑」である。更正する必要など全くない。元々社会に必要とされていなかった人種なのである。そこいらの騒音族のやつらと同じだ。全員死刑!!!!!

ん〜 朝から興奮気味なのであった・・・。
2005.11.13
誕生日である。

47歳である。

50まであと3年である。

ここまで来たか・・・という感じである。

ハタチの頃がつい昨日のようでもある。

子供の成長はうれしいが、年をとった事の"証"のようなもんだ。

そろそろ子供みたいな事は止めて早く大人にならねばとも思う。

それでいて早く50歳を見てみたいようなみたくないような・・・

複雑な歳なのだ。

209号線 津福バイパスという道路が出来つつある。
うちのすぐそばなのだけど、今月中に開通するという話。
六反畑から野伏間までの2.4kmほどの道路。
以前は久大線と西鉄大牟田線という2つの踏切りがあり、朝に夕に大渋滞で有名な地域だったのだが、昨年10月西鉄は久留米〜津福間が高架になり、いくぶん渋滞は和らいだというものの、やはり朝夕の渋滞の仕方は尋常ではない。
開通したら便利になるだろうなぁ。
2005.11.12
八女においしい支那ソバ屋さんが出来たので一度一緒しましょう!というダニー馬場氏の誘いにのり、昨夜ちょいと雑用ついでに食べてきた。青果市場の敷地内、一番奥に「八屋」と光る提灯発見! 21時を少し過ぎたばかりだったが、野菜を積んだ大型トラックがバンバン入ってくる。

支那ソバ屋というだけの事はあり、白濁していない鶏ガラスープはまろやかで奥深く、野菜との相乗効果で甘みが喉の奥から胃袋までじんわりと降りていく・・・。あぁ何と幸せな事か。
ラーメン以外にも鶏焼き肉や鶏系一品料理など盛りだくさんのメニューで、酒の種類も抱負である。てことは酒飲めってことだろか?ということで繁升純米吟醸を1杯!

次行く時は計画的に段取りして、鶏料理満喫するぞ!と心に誓うのでありました。
2005.11.10
この季節は大好きだ。何と云ってもゴルフが気持ちよい。まぁ夏の盛りは極力やらない事にしているが、それでも誘われたら断る理由が見つからないのでそわそわと出かけてはみるものの、エネルギーを大量消費して帰ってくるハメになる。その点10月から12月にかけての気候は素晴らしい。ここんとこ数ラウンドバリバリの快晴!日本晴れというやつ。神様ありがとう!今日も良い天気みたいだ。

先日M社のK氏が夕方ひょろっと現る。ひとしきりおしゃべりをしていい時間になったので「軽くビールでも・・・」と街にある高級回転寿司屋「S」へ行く。給料日だったらしい。鯖も旨いし鯵や鰯などなかなかのもんだ。ビールでも・・・と云ったはずなのにすぐに焼酎へ突入。
気持ちよくなったところで浦隣にある餃子専門店「NN」へと移動。引き戸を開けると満員らしい、店の兄ちゃんから「すんません〜ちょっと今・・・」と云われ店内を見渡す。
ありゃりゃ・・・知り合い発見!S筑後のY.I.と関東から出稼ぎに来ているK.T.氏とそれにもう一名。な〜んだ空いてるじゃないのよと合流する。まだこの時はこの後の展開など予想も出来ない。

水餃子を素早く平らげると、KT氏から今夜もラーメンが食いたいとオーダーが入る。彼は久留米ラーメンが大変気に入った模様で、とにかく毎日ラーメン食っているらしい。残りの焼酎を飲みほしそそくさと店を出る。久しぶりのNNぎょうざ、韮とゴマ健在だった。うまかったぞ娘娘。
そして我々が向かったのは明治通りから北へ入った所にある「K屋」。屋台から始まったこの店は常連さんが多く、時間帯によっては行列が出来ていてなかなか食べられない時が多い。あっさりとコクがあるスープは酔っぱらいにはクセになる味だ。最近息子さんが手伝い始めたらしく、おかぁちゃんも大変ご機嫌であった。
さて寿司に始まり餃子を食い、おまけに仕上げのラーメンまでいってしまった我々は、もう帰るか飲むかどっちか決めてくれぃ!状態で、無言のまま横断歩道を渡っていたのであります。気がつけば「あっくん食堂」前。じゃ、ちょいと飲んでいきますか・・・。
常連さんや同級生の相手をしていたら、あっという間に2時間経過。
するとおもむろに「KT氏」潘陽軒でラーメンを食いたいと言い出す。何でも一昨日潘陽軒に出会ってからというもの、寝ても覚めても潘陽軒が頭から離れず、よそでラーメン食っても何かが違うらしいのだ。絶対食いたいと云う。「おめぇ2時間前にラーメン食ったばかりだぞ!」
俺とYI氏はさすがに食えず。酒の酔いで少し壊れ気味の「M社K氏」は付き合うという・・・。恐ろしいやっちゃ。
完食後、たいへん満足げな二人と、「おまえらよく食うよなぁ・・・」と、ややあきれ気味な「Y.I.」の図。
2時間でラーメン2杯。
次の日もまた食ったんだろうか・・・。こわ!
2005.11.2
中学卒業後間もなくめがねをかけはじめた。眼科から視力回復センターというところを勧められはしたが、めがねをかける事に格好良さを感じていたのと、回復センターの雰囲気があまり良くなかった事もあり、1回行っただけで回復を諦めたのでその後視力はドンドン落ちていった。
毎年、度数が合わなくなるのでその都度矯正する必要があるのだが、40歳を過ぎてからは一度も眼鏡屋で視力検査した事はない。少しくらい見えづらくても何にも問題ない事がわかったのだ。ゴルフも問題なく出来る。

しかしだ、ここ1年くらいでかなり視力が落ちたように思う。おまけに近くのものが見えづらい。巷では「老眼」というヤツが私の体にも確実に忍び寄ってきている。ただ視力が良かった人に比べればまだましで、眼鏡を外せば問題なくバッチリ見えるので、良しとせねばなるまい。
しかし実感としてここ数年で確実に老人へ向かっているのは確かな事のようで、いやはやこれも致し方ない事なのかもしれぬ。体の事も考えつつ生きていかねばならぬと云う事か。誕生月が来て年取る事が現実的なものとして目の前に表れると、なぜか妙に背筋がピンとしてくるからおもろい。