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| 2005.7.28 |
世界水泳がモントリオールで開催中。
日本水泳界も一昔前からすると元気になってきた。メダル獲得者続出! ちょい前まではジュニア大会では世界レベルだけど、それ以降伸びないと聞いていたけど、最近の頑張りを見るとようやく精神的な部分が世界レベルになってきたかな、という感じでしょうか。
誰も信じないかも知れぬが、かくいう私も中学生の頃は水泳部所属、「平泳ぎ」でちょいとがんばったものだ。とは言え、まともに泳げるようになったのは小5の時で、水泳にはまったく興味がなく、小6の時は中学校バスケット部のおにぃさん達から強制的に一緒に練習させられていたし、中学入学後もためらいなくバスケ部へ入部。
そんな中1の夏休み。仲のいい友人数人とで文化センターのプールへ行き、水泳部(バタフライ)のやつと競争(俺平泳ぎ)して勝ってしまい、夏休み明けにこれを聞いた水泳部顧問に呼ばれ、言われるままにバスケから水泳へ鞍替えすることになる。水泳部の練習はきつかった。柔軟体操の後おもむろに水に入り好きな泳ぎで1000〜1500m消化。その後休む間もなく25mダッシュ(クロール)が数十本。それから自分の種目を延々と・・・。
毎日練習が終わると胸の筋肉が盛り上がっていっているのが実感出来たほどです。帰って飯食うとバタンキュー。お陰で次の年の新人戦では上位入賞出来た。(確か1分27秒くらい、2位だったか3位だったか・・・)
しかし30年前、100m平泳ぎの世界記録は1分4秒くらいだったのだが、今や1分を切って59秒30だ。科学的トレーニングのたまものなのだろうか・・・。
と、テレビを見ながら、あの頃の引き締まった体を思い出しつつ、出っ張ったお腹を恨めしそうに眺めるのでありました。 |
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| 2005.7.25 |
もうずいぶん前、とある高校の文化祭でのこと。
その日は屋外で行事が行われる事になり、「電源は?」と確認すれば「体育館から引いて下さい」と先生は云う。ならばとコードリール2本延長してステージの横までひっぱる。電圧を測ると何と「85V」しかないではないか!この日のバスドラの音が「ポン・ポン」としか鳴らなかったのは言うまでもない。
・・・と、こんな事件から、コードリールは2個以上延長するな!という言葉が俺の記憶の引き出しの中にしまわれたのです。
時は過ぎて2005年7月初旬。
とある屋外現場にて、打ち合わせの悪さからか久しぶりにコードリールを延長するハメに・・・。コードリール×2個と10mタップ1本。ブレーカーで105V。延長地点で何V落ちているかと恐る恐るテスターをあてる。
ん?
ほとんど落ちていない。102V。
機器の電源を入れても100Vを少し切れるだけなのね。
なんで?
で、昨日。
これまた打ち合わせの悪さから、電源の位置がとてつもないところにあることが判明。何と!コードリール×3個と10mタップ×2本。(多めに持って行っててよかったよ)ブレーカー地点で105V。最終延長地点でこれまた103V! ミキサーとアンプの電源を入れても100Vまでしか落ちない。
またまた「なんで?」
あの昔の悪夢は何だったのよ?
引き出しの中にそっと仕舞った「コードリールは2個以上延長するな!」という格言はどうなるのよ。という複雑な思いも虚しく、俺の横で「SLIDAC君」は+5Vの仕事を黙って続けるのでありました。
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| 2005.7.23 |
おやじの会1回目の会議あり。
冒頭に配られたお題目表の一番上に「会議・レジュメ」とある。レジュメとは何を意味する? そこで誰とはなしに「レジュメって何ですかね?」と声を出してみるが誰も答えず。
でネットで検索してみると「履歴書」とある・・・ますますなんだ?と深みにはまる。Wikipediaで調べてみる。外来語とありやはり「履歴書」とある。なんなんだいったい!
みんなの履歴書を調べるとでも云うのか? それとも履歴書について会議をするというのか? 今度の会議には履歴書を持って行こう!
会議終了後、近所の居酒屋で飲む。
校長先生や先生方4名と、おやじ達6名。現校長は今年度から牟田山中へ赴任されてきた。が、8年前は教頭として牟田山にいらっしゃったらしい。何とも熱血漢の先生であり屈託のない性格から、江南中→筑邦西中と父兄からもかなり人気のあった先生らしい。
いつもの事ながら、集まりの悪いというか、告知不足というか、なかなかおやじさん達に集合してもらえない。興味がないのだろうか?子供に対する親の責任は果たしているとでも安心しているのか、学校のことになると二の足を踏まれる方が多いのね。
何か事が起こった時の連絡網として、携帯電話のメルアドを集めることになった。もちろんおやじたちの。これで一方的に情報を流して、少しでもおやじの会の事を理解してくれればと思う。
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| 2005.7.16 |
昨夜「ありやまな夜」が終わった。
久留米でのライブは、1982年5月市民会館小ホールで勘太郎さんとの「ありかん」以来だから、23年ぶりということになる。(やっぱスケジュール帳は残しておくべきだ。13日が日田のボンタブラザーズ、14日が久留米、そして次の日が熊本という3連戦で、熊本までお供した。詳しくは内田勘太郎のページで)
'82年と云えばチェッカーズが上京した年で確か12月に久留米イベントホールちゅう約200人キャパで「旅立ちコンサート」をやったな。その前の11月に「Set-Up」が解散してしまい、このライブは「Garcon」の機材でやったと思う。
話は有山氏
23年ぶりのありやま氏はほとんど変わっていなかった。
まぁ歳と共に我が儘にはなっていたけど、それは気持ちの良い、まわりに迷惑のかからない「わがままじい」で、この年代特有の「我が道を行く」的な、のんびりとマイペースを楽しむ姿勢がとても心地よかった。
また来年もやるんやろうけど、今から楽しみだ。
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| 2005.7.13 |
前回暢気なことを書いていたら、大分県西部の九重町周辺では大変なことになっていたようで、道路は寸断されてるは家は壊れているは行方不明者も幾人かいたり犠牲者まで出ていたりと、おいおいいったいどうなってるんじゃ?と聞きたくなるような雨・雨・雨・・・。おまけに中部北越あたりもすごい被害だと云うし。「山間部に住む人達の悲しい宿命」などと冗談は云っておられません。俺も20年ちょっと前にゃ中津江村の住人だった時期があったわけで、山の生活の快適さは十分理解しているつもりだし、歳とったら田舎もいいな、なんて考えているからして彼らの苦悩は痛いほど分かるってもんだ。
時代的な便利さはひとつも存在しない。それを望むなら街に住みなさいってことでしょう。しかしながら精神的な便利さは山ほどある。昔から伝え続けてきた文化というものか、時代の便利さを排除出来るなら山の生活も捨てたものじゃない。むしろ快適だ。
そういう基本的な事が体に染みついているからこそそこに生きるのだろうし、それがなければ今頃全てのみんなが街に住んでいるはずだ。
何の話か分からなくなってきたが、日本の原風景がそこにはあるということ。いるだけで妙に落ち着く。が、また長くいればそれなりに嫌な部分も見えてくるのかも。それも原風景か。
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| 2005.7.11 |
ありゃりゃ、いつの間にか7月になっていたのね。
今月の人も更新忘れてるし、ここも全く書いていないし。まぁ3日坊主で定評があった俺からすると確実に続いてはいるものの、これではまったく元の木阿弥ちゅうことか。てことで今月の人更新してみました。 |
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毎年そうなのだが「九州北部が梅雨入りしましたよ」とか「沖縄が梅雨明けしそうですよ」などとテレビで云い出すのだが、梅雨入り宣言した事を知って知らずか雨のヤツは一向に降る気配を見せず、テレビでは「このままではダムの貯水量が心配です」などと言い始める。久留米を含む筑後地方は母なる川「筑後川」のおかげで、みんなの心配を余所にあちこちで「田植え」が始まる。なんと心強いことか。そもそも福岡市なんかおかしい。「那珂川や室見川」など地域の川が持つ存在的補給能力以上の「人」が暮らす都市においては、その膨らみ続ける人口自体おかしなことで、水の量と人の量は比例していなければならないはずだ。だから筑後川から水をちょうだい!なんてバカな話になるわけで、都市計画の中に第一に考えられなければならないものは「水の確保」でしょ。
で、話を元に戻して・・・
昨日、グリーンピア八女で大雨の中、屋外仕事してきましたが、九重町では大変な事になってたのですね。1時間に92ミリという爆雨だったそうで、地元のお年寄りなんか「28年の大雨よりすごかった。初めての体験だ!」とインタビューに答えていらっしゃったが、期待されると降らないのが雨で、不意を突いて突然降るのも雨なのね。それにしてもああいう山奥に住まざるをえない人々の宿命なのか、久留米市に住んでいてよかった、わりと高い土地でよかったとこの手の災害が起こるたびに胸をなで下ろすのであります。
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じめじめとして鬱陶しい「梅雨」ではありますが、農家の方々には恵みの雨であるわけで、雨が降らねば田植えも出来ぬ。
風が吹けば桶屋が儲かるではないですが、そういう事項って他にも沢山あるんだろうね。
暑すぎる夏はとってもいやなもんですが、冷夏だとビールやエアコンの売り上げに影響する。でもCo2の事を考えると人は楽しすぎないほうがいいみたいだし、無駄なものは極力排除していったほうが地球にはいいのかもしれない。そもそもここ最近の異常気象は産業革命以降、人間が地球をいじめ続けてきた結果なんだろうからね。
とは言え堕落しつくした人間には元に戻ろうとしても所詮無理なことなのかもしれないな。
な〜んてエアコンのバッチシ効いた部屋でキーボードを叩きながら思うのでありました。
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