2005.5.30

7月に「有山じゅんじ」ライブをやることになった。勘太郎の項に書いているけど25年くらい前に久留米でやって以来だからホント久しぶり。その間他では何度かお会いしているのだけど、直接関わるのは25年振りのこと。しかし15日(金)なのでブラッカやNEXUSにお願いするわけにもいかず、新規で会場を探さねばならぬ。どっかいい場所ないかなぁ・・・。
 と、話は変わって・・・  
テレビでは連日「フィリピンで日本軍兵士が生存しているらしい」と賑わっている。ミンダナオという島らしい。「捕虜になるくらいなら自決しろ!」という決め事の中で島民になり生きながらえた兵隊さんはどんな気持ちなんだろう?いまだ軍法会議があるとでも思っているのかな? テレビによると山岳地帯にいる反政府ゲリラと生活しているらしいとの事だが、日本的に考えるとゲリラの存在自体があり得ない事だもんね。 しかし、どこのテレビも「旧日本軍」という言い回しなんだなこれが。「旧」というからには、戦後新たなる「軍隊」が存在しているとでも云うのでしょうか?どうして「旧」という言い方するんだろ? 不思議です。マスコミは自衛隊を軍隊と認めているのでしょうか?
 友人の話に乗って「半島を出よ」という村上龍の本を買う。2011年という設定で、アメリカ寄り過ぎた日本がアメリカの衰退と共に経済も何も破綻してしまい、消費税は17.5%、銀行口座は凍結され、失業率30%で路上生活者50万人。「上・下」からなり1冊目は一気に読んだが、話が見えたというか、あんまりおもろうないんでとばし読みしたら最後まで読む気が失せてしまった。前評判はよかったんだけどね。
で、村上龍が何を云いたかったのかと考えるに・・・
日本人は戦後長い時間をかけて、考えるということを止めたんじゃなかろうか?優先順位も分からず何をしていいのか判断出来ずにダラダラと過ぎていく時間・・・。そういう状況を見越して完璧なまでのシミュレーションで福岡を制圧してしまう朝鮮軍・・・。戦後アメリカ主導のシステムを受け入れすぎた結果としての国の結末なのか。親米から親アジアに変更する時期かもね。

2005.5.25

大塚まさじライブ無事終了!
予想に反して?50名超のお客様にお越し頂き、静かにそして熱い夜は過ぎていったのでありました。はじめて聞かれた方からも満足的意見数々・・・。ほんなこつよか夜でした。
二次会〜三次会と夜は更けていき、気がつけば夜中の3時半!みんな若くないんだから早く帰って寝ろっちゅうねん。
 ところで毎度の事なのですが前座という形で3人の若者に唄っていただきました。少し寂しい気もしますが若者の唄う声や言葉からは何にも伝わってきませんでした。と云うより伝えようとしていないのでは?とも取れるくらい「言葉」を大切にしていないようです。
 唄は誰にでも唄えます。言葉は誰もが使えます。でも自分の想いを唄にして人様に聴かせるという行為は、プラスαの何かが無いことには始まらんですね。言葉に対する責任感でしょうか? 世の中を洞察する能力でしょうか? 作詞の巧みさでしょうか? どれもあてはまる事のように感じますが、真実は私には分かりません。
大塚まさじさんは俗に言う「売れてる歌手」ではありませんし、過去に一世風靡した事もありません。しかし一人旅を始められて20年。全国各地に大塚さんの唄を待っている人がいるという事は、彼らの欲望を満たす何か・・・その才能があるという事です。
ここがアマチュアとプロの差のような気がします。

2005.5.23

飯塚へ行ってきた。
もちろんこれまでに何度も行ってはいるが、我々の仕事はひとたび会館に入ってしまうと本番終わりで搬出するまでほとんど外に出ないので、今どこの街に来ているのかさえ分からなくなったりする。今回はかなり時間に余裕があり商店街や路地をふらふらと歩き回り飯塚という町を体感してきた。(と云っても一部ではありますが)
 リハーサルが終わり、まかないのおにぎりを頬ばりながら「飯塚のラーメンを一度体験したいんやけど」とK氏に聞く。するとK氏も若い時から気にはなりつつも、30年経過してしまったという老舗があるという。そいじゃ一緒に行きましょう!と盛り上がり、散歩にちょうど良い距離らしく歩いて行く事にする。15分ほど歩き目的の店に到着!しかしあいにくの定休日。仕方ないなと数十メートル先の長浜ラーメンの看板に吸い込まれる。この店のコメントは控えさせて頂くが、マズくはなかった事だけ書いておこう。
 飯塚の街を歩いてみて感じたのは、古い建物が多い事。そしてそれをうまく利用して飲食関係の店にしていたり、元々そこにあったであろう料亭などが裏路地にきれいに収まっていて、古き良き時代の匂いプンプンのよか雰囲気を醸し出している。そういう路地の多い事。
 数年前の大水害の時ほとんど浸水した地域は所謂「歓楽街」だ。小さい店が所狭しと並んでいて路地も入り組んでいる。聞くと胸の高さまで水が入ったそうだ。もちろん今は見る影もなく回復しているので聞かなければそこが浸水した地域だと分からない。
 筑豊は炭坑の街で「青春の門」は暗いイメージやったし、街全体が鈍よりとしていて灰色のイメージ(黒澤明映画的)を持っていたのだけど、そんなことはなかですね。あたしの思いこみでした。

今夜はまさじさんのライブだ。
しっかり楽しんでくるぞぅ!(入りは大丈夫?) 

2005.5.19

17〜18日と大人しくしていたら、いつの間にか全快のもよう。
やっぱ若いってぇのは治りも早いっちゅうもんだな。ハッハッハ!
たかが風邪くらいでオタオタするなってぇの、ってオタオタしたわけじゃないが、体調が悪くなるとやる気も落ちてきて、やらなければならぬ事もついつい後回しになってしまい、ここは大事を取って休養だ!と自分に言い聞かせて寝てはみるものの、世間から置いてけぼりを食っているような強迫観念がジワジワと湧いてきて、おい!寝てる場合じゃなかばい!と起きてはみるものの、やはり体のだるさには勝てるはずもなく、しかし他人は俺の体調など関係なく、酒飲みやゴルフの練習など誘いのメールや電話を入れてきたりもするものだから、あ〜悔しいったらありゃしない。だいたい人に風邪をひいたみたい・・・だの、体調がすぐれなくてね・・・なんて云うのも、負けを認めたような気がしてあまり好きではないし、ましてや人が風邪をひいたりした日にゃ「あんたそりゃ気合いが入っとらんけんたい!」と追い打ちをかけたりしているものだから、自分がその状態だと知られたくないのかもしれない。
まぁしかし心の隙間といいますか、ちょっとした油断的気のゆるみを風邪のウィルスは虎視眈々と狙っているようですので皆様も気を引き締め日々の生活を送られるように願いたい。

なんのこっちゃでした・・・。

2005.5.16

久しぶりに風邪をひいたようだ。
先週の金曜日の朝起きると喉が痛い。たばこの吸いすぎかと控えめにするが翌朝痛みはひどくなっていて、こりゃ10年に一度の扁桃腺か?と思うも現場へ向かう。あいにく屋外の仕事でもって泊まりの予定だから夜は当然呑みに出る。翌日も1日屋外で現場。
バラし終わって一息ついたところでゾクゾクっと「寒気」がやってきた。しもたぁ〜と思うまもなく体温上昇。
昨日も早朝から昼まで埃っぽいところにいたものだから追い打ちをかけるように悪化。
てなことで本日はたばこも平均本数の十分の一に控え養生中。
いつ以来か忘れたがこのけだるさは好きだな。

2005.5.6

ワイドショーでJRの事故やってほしくないなぁ・・・。
あんたらは芸能ネタだけやっとけばよかとじゃなかですかね。
JRを可愛そうとは思わぬが、もう少し違うやり方はないのかね?
事が起きてからワイワイやられてもなぁ。
連日のテレビを見てて釈然としないイライラ感が募るのは俺だけか?

2005.5.2

「春一」初体験! 正確には「春一番」
もちろん何年も前から一度は参加したいと思いつつ、この時期忙しいのと大阪まで?っちゅうのが邪魔をしてなかなか足を遠ざけていたのだが「もしかしたら最終回かも・・・」というナイスな情報に「これを逃せば永遠に見れないかも・・・」と出かけて参りました。

中津江村のMusic-Festivalもこの春一があったからこそ生まれたんだろうし、中津江MFがなければ発心コンサートもここまで続かなかっただろう、この春一に参加すると云うことは私の心の中にあるであろう原体験の確認作業でもあったわけです。

行きも帰りも「車」で片道8時間!およそ650km
若者でもあるまいしとは思ったが、計画性の無い俺が公共の乗り物など予約できるわけもなく、最終的に行こうと決めたのは出発12時間前のこと・・・。まわりのみんなごめんなさい!

ということでこの先の話は【春一レポート】をご覧下さい。