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●発心コンサートはこうして始まりました。

1993年正月、お屠蘇気分もさめやらぬ1月2日の夜の事・・・。
帰省中の友人、中野裕(草野町出身:東京都在住)氏から電話があり、「草野に変なおじさんがいて、『町おこしでコンサートばしてくれんじゃろか』と言う話になってるから、今から会って話を聞いてくれ・・・」との事。二つ返事で草野町へ出かけていったのであります。

この電話から発心コンサートは動き始めました。

途中経過はこの場では省略するとして、

1993年8月21日(土)いろんな心配事をどうにかクリアしたものの、何とも言えぬ複雑な心境の中で第1回発心コンサートは無事開催されたのでありました。

その時のメインスタッフは以下の通り

  ・運営責任者■A氏(ケツ割り)
  ・企画/指揮■中野 裕
  ・連絡責任者■今村 好典
  ・音楽責任者■丸山 幸一
  ・音楽責任者■K.K(今は不参加)

しかし、「産みの苦しみ」と言いますか、「できの悪い子ほど可愛い」とでも申しましょうか、「出来ちゃった結婚」と表現すればいいのでしょうか、やっぱりこの手のイベントは「一回やったら止められない」という「麻薬姓」を持っているのです。

年が明けて1994年3月、2回目をやるか?やめるか?という作戦会議・・・。「やめるのもったいないし、2回目は俺達主導でやりたいね」という、誰の言葉か忘れたけど、全員一致で継続することになったのでした。メデタシめでたし。

10回以上続けてきたことで理解者も増えてきたけど、収支がなかなか思うようにならないのも事実で、毎年スタッフ全員手弁当(かなりの赤字)で参加している状態です。

しかしながら我々スタッフだけではここまで続けてこれなかったでしょうし、これを読んでいる皆様一人ひとりの理解&協力があればこそ「よぉし!来年もいっちょやるかぁ!」と勇気が湧いてくるものと思います。

皆様、どうかこれからも「発心コンサート」を見捨てる事なく温かく見守ってやって下さい。

2004年7月更新
(途中経過は省略すると書いたものの、すでに10年過ぎたし時効成立というわけでさわりだけでも書いておこう)
へんなおじさんのことをA氏としておく。
 で、A氏の話を要約すると「これまで自分は地元でグライダー山のイベントや山開きなど、いろんなイベントをやってきたけど、若者の感覚で何か地域興しをやってもらえないだろうか?それに関わる一切の費用は自分がスポンサーを集めてくるから心配要らない」のような事だったと記憶する。それじゃ・・・と、一番手っ取り早い「音楽イベント」をやりましょうか?ってことになり、ざっと計算して「200万円」用意して下さいとA氏に伝え、そこからコンサート開催に向け動き始めたのでありました。
 結果的に1ヶ月前の段階でスポンサーは見つかってないしお金もほとんどないという事実が露呈し、やるかやめるかですったもんだあったけど、A氏抜きの俺らだけでやってしまおう!ってことで全員一致。
 音響照明は実際の支払い無しで出来るのだけど、ステージに関してはそういうわけにもいかず、A氏に責任とってもらう意味も含め「どうにかしてくれ!」とつっぱねる。で、A氏ひとりでステージ作ってしまうわけだが、農業用ビニールハウスのデカイやつでなんともかっこ悪い、現在のヤツと比べるとお粗末なステージであった。
・・・という経緯でどうにか開催の準備は整ったわけです。

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