李 政美I-jonmi
人と人とのつながりって不思議なものだとつくづく思う。

この李政美さんはたぶん私と同い年くらいで、在日朝鮮人2世なのだが、その生い立ちの中で、推測だが・・・幼少の頃からの疑問であった「自分自身」はどこから来てどこに行くのだろう?という自問に対し、祖国である「朝鮮半島」にその思いを求めていったのだろうと思う。

日本語しかしゃべれないのに「日本人ではない」というこの国の矛盾の中で、祖国に思いをはせるのも自然の成り行きであったろうと思われる。

で、当時発心コンサートにもよく出演してくれていたバンドのベースマンに「大山君」という大酒飲みがいる。(鳥栖軍団酒飲み会所属)

ベースマンなのだが焼酎グラスのほうがよく似合うヤツだ。
豊田勇造さんと仲良しで、ライブではセッションなんかやっている男だ。

そんな彼から電話があり「福岡に住んでる弟が今度ライブを企画しているんやけど、協力してくれんかいな?」
聞くとなにやらボランティア的な動きの様相。まぁ俺の生きる道かと思い気楽に返事する。
数日後電話があり、この電話から今回のライブの全てが始まった・・・。

(初めての李政美さんライブ2001年6月9日早良市民センターでの模様をリポートしたい)

ここ「早良市民センター」は、バスセンタービルの4階にあり、専用の機材搬入口が無く、機材をステージまで運ぶのに80mほどゴロゴロと押して行かねばならない。
おまけに客席最後部からの搬入ときている。
「設計責任者出てこ〜い!」と、ついつい大きな声を出したくなるのは音響屋さん共通の意見だろう。

当日は9:00から搬入開始。
大山さんと仲間1名(名前を聞いていない!すみません)それに大山さんの子供2名の手を借りて、15分ほどで搬入終了。10:00過ぎにはセッティング完了です。

あとは照明さんの時間、休憩に入る。

田中君です。
ステージモニターミキサーを担当しました。
(超簡単セットです!・笑)
たぶんお客さんには分からないでしょうが、モニターの調子が悪いだけで、唄い手や演奏者は気持ちよく演れないものです。
だから彼の役割はコンサートの重要な部分を担っているのであります。
で、気持ちよかったのでしょうか?
こればかりは、直接本人に聞かないと分からないのです。(笑)
李政美まわり(こんな感じです)
リハーサル中です
本番はじまり・・
オカリナ(よか音色じゃった)
打ち上げ会場の「なぐね」
右手前が「永江氏」マネージャー
突然唄いだした「李政美(左奥端)」朝鮮民謡のようでした。
この2001年以来何度かライブのお手伝いをさせて頂いたのですが、聞くたびに深みにはまっていきます。決して抜け出せないあり地獄のような「李政美の世界」に引きずり込まれてしまいました。

この世界に入ってからこれまでにいろんな唄い手を見聞きしてきましたが、彼女の存在感はこれまでに経験したことのない感覚でした。ステージに現れた彼女は普通のおばさんですが、ひとたび唄い始めるとそこにはきっちり「世界」があります。それもとびっきりの部屋、たとえて言えば「最上級ホテルの最上階スイートルーム」的な豪華さではなく、遠い先祖が生まれ育ったであろう時代の仲間意識を持った「集落」的な心地よさです。もしくは「母親」から抱っこされている赤ちゃんにでもなったような、「本能的」な気持ちよさです。

これはどういう事なんでしょうか?
やはり我々日本人は遠い昔半島から渡ってきてこの地に住み着いたのでしょうか?

まさしく「母なる声」を聞いている気がします。